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説明:記事本文が敬語の場合はきっと何かを語ってます
今日、ふと考えてみたんです。
最近、暗いニュースが続いてますよね。 自殺、児童虐待、殺害、ひきこもり、いじめ問題やらetc... 最近には、某所で女子高生が殺された事件があったじゃないですか。
それを受けて、「あーまた人が殺された・・・・」ぐらいにしか思えない自分に失望した。
「人が死ぬ」って人生の中で1番重大な事の筈なのに・・・。 残された家族や友人も悲しいし、今回の事件の場合は殺害された方は文句無しのエリート女子高生だったそうです。 何で殺されなきゃいけなかったんだろう。何で死んでしまったんだろう。 多分、残ったのは遺骨と後悔だけだったと思います。
それぐらいに「死ぬ」って重要なのに、何で自分は「また・・・」としか思えないのか。 あと、人が亡くなったニュースを淡々と、無機質にもう慣れました感で伝えるメディアもどうかと。
もう少し、人の気持ちも考えろよ。
自殺したニュースも、何の覆いも無く報道する姿勢。。。 だから、自殺者が増えるんじゃないのかと。 死にたいと思っている人の元に「こうこう、こうやって何所やらの誰かが亡くなりました」という、ありのままだけを伝えたニュースが届く。 そして、「あーこういう方法があるのか」「この人がやったのなら俺にもできる」 そして、報道。 そして、自殺。死。 そして、報道。 そして螺旋階段みたいに延々と続き、現在に至る・・・ のではないかと。
自殺する方も自殺する方だよ。 自分が逃げる事だけ考えて、家族や皆の事は置いていく。 そりゃ、逃げることも大事だと思うけどさぁ。 でも本当に、自ら命を絶つしか逃げる方法は無かったのかと。 本当に、何も楽しみは無かったのかと。 私はそう思った訳です。 何かどんな小さいことでも楽しみがあるうちは、死ぬのは勿体無いんじゃないと思います。
・・・それを、「またか」にしか思わない私。
きっと、殆どの方が同じ思いをした事があると思います。
社会中毒性麻痺。
society substances cause insensibility to pain. (社会は痛みに対する麻痺を起こす)
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